国立総合大学の設立 - 名古屋商工会議所のあゆみ | 名古屋商工会議所の沿革・歴史を紹介する「名古屋商工会議所のあゆみ」

昭和(初期・中期)1926~1945

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昭和14年(1939)
国立総合大学の設立

国立大学「官立名古屋大学」の設置

 「大都市に大学なきは、大住宅を建てて書斎を造らざると同様…」。大都市として、物質的繁栄だけではなく、学術文化面の充実も必要との考えから、大正15年頃"名古屋に国立総合大学を"との声が強くなりだしました。
 名古屋には公立の医科大学はありましたが、商工都市として最も関係が深い理工科をはじめ、精神文化に必要な文学科などは一切なかったため、本所が中心となり、各方面の有力者に呼びかけ、大正15年に名古屋総合大学設立期成同盟会を組織。実現に向けて奔走しましたが、総合大学の早期設置は困難との理由から、愛知医科大学を国立に移管することに方針を変更、昭和6年5月に官立名古屋医科大学(現名古屋大学医学部)が誕生しました。

国立総合大学「名古屋帝国大学」の誕生

 官立名古屋医科大学の設立後、"名古屋に総合大学を"との声が濃厚となり、昭和13年、名古屋総合大学設置期成同盟会を組織。事務所を本所に置き、会長に青木鎌太郎本所会頭、副会長に豊田利三郎・高松定一本所副会頭が就任しました。昭和14年に、名古屋医科大学を吸収させる形で、名古屋帝国大学が設立。当時は、官立名古屋医科大学を改組した医学部と、新しく創設された理工学部の2学部のみの編成でありました。

初代会頭 伊藤次郎左衞門(祐昌)

名古屋医科大学
(写真提供:Network2010)

名古屋商法会議所の「創設願書」、「創設主意書」、「規則」、「議事規則」の草案(所蔵:名古屋市政資料館)

昭和6年5月1日の名古屋毎日新聞

戦災前の名古屋帝国大学医学部(写真提供:名古屋大学)

戦災前の名古屋帝国大学医学部(写真提供:名古屋大学)

 

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